【錠の10】 です。 大きなものから、少しずつ狭めて、風景があり、自然や街並みがあり、街があり、街の中でのことがあり、そこで生活をする人がいて、個人に焦点が当たり、その個人が何を考えているか?ということがあるわけです。 この次から、節が変わります。 扱うことが、個人を主になる。ということです。 /*----- 【錠の10】 △が中学へと入る頃となるや此の街の景気は更に逼迫をばしており大人達が口々に言うのことは今は日本中の景気が悪いからやとのことで仕事を求めては他県にまで出て行く者増えしこと重なりては△の目には此れな街がさながら廃墟の如くに影をば落として学び舎にしても生徒数の維持すらできずにこりゃ大変で△未だ幼き頃には五つだか六つだかと賑やかなる小学校も此の頃には生徒の数半分となりさらばえて此れな状況をば鑑みたる教師の言として 『お前らが大人になっている頃には、もっと酷い状況になっているぞ』 とのこと及ばずで生徒にしても日々の親々の態度から皆一様に己の将来に対する不安を抱えることありしも些末で日々の勉学やら遊びに勤しむこと手一杯なるにそれどころではないが正直なるところで今々現実にと差し迫るる此れな状況をば大人達も打開できずに其は元来から田舎の牧歌的なる暮らしが生活の土台となる者ら故其れな者共窮地を脱する術持たずは至極当然なりしで口を開けば 『今は日本中がこうだから』 そうと繰り返すしか他なくこの頃になるや桟橋から女達の姿ぽつりぽつりと消え行くのことで其は生活の厳しさと何もない此れな街にと嫌気がさしてのことで多くは此処より大きなる街へと移る次いでにガイジン漁りなるの火遊びも綺麗に忘れそこなところはやはり女よのと年寄り連中も言いし△にしても既に此れな街の状況には達観をばして興味の大半は赤いハンカチのぶら下がる家へと向いて其れな家の前をば通るが日課となりおり今日も何時もと同じく桟橋からの帰りのすがら赤いハンカチの家へと立ち寄るのことがまたしても何時ぞやなるの女が二階の窓辺から道端の△にと声をば放りて言うは 『おぅい、少年。学校は如何したの?』 とのもので其に返する△気取り気味に 『その気になれば、僕は誰にも負けやしないよ』 で此れな言は正しく△は自身の見聞した事象を
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