この投稿は、2019年は4月の1日にメッセンジャーに記した雑記をブログ用に直したものです。
まずは、有り難う御座います。というお礼ですね。
有り難く頂戴致します。
洒落ですよ。
さては新たな元号についてですが、一時は、安部首相の名前の一字でもある《安》の字が入るかもしれないことさえ、該当のかたが歴史に残るからという理由からの反発があったようですが、一応なりと、そうと決まればそのような調子に乗ることとは思いますが、それの何がいけないのか?ともしてはいますも、半分は冗談であったわけです。 その時分にはまだ候補中にあるとなっていたこともあり、別からにして、こちらとの関連からのことを言っていたわけではありません。
本当にそのようなことに出ようとしたとしても、それ以前に《安》の字をよけることは考えるでしょうから。 加えて、歴代の首相というものは、歴史に残るわけです。争いになるなら、余計とそのようなものは要らないのではないですか?ともしてはいますが、結果を先に記せば、当ブログやFacebookやメッセンジャーとの関連とのドンピシャリでもあることに、とても有り難く思います。 実社会のこちらごととの関連がそのままです。 つまりは、テレビとの関連でもあるわけです。 *まだ記せていないことや、記せないこともありますが…
連想の投稿や他の投稿の時分に、日本にも、ものすごく頭の良いかたがいるとしていましたが…
良い話のタネができました。
元号というものは、昔と違い、今では国民へのプレゼントのようなものにもなってはいるようですが、これはその通りであろうとは思います。
商売などでも、幾つものところが関連商品や無料にするものなどを出してもいたそうですし、同じ名前のかたや、名前の中に一字があることによるチョットしたお得感があったかたもいたようで、それ以上に、元号そのものは、新たに始まるもので、このことから、全員へのものとなっているはずなんです。 ですので、他のかた同様に、自身も有り難くに頂けるわけですが…
新たな元号の案は良いプレゼントになりましたとの投稿とのことから、本当に良いプレゼントになりました。
さてはここに記しているのは、安部首相の意訳ではないほうのもの、つまり、言葉の意味です。 *ご本人様は、万葉集についてをテレビで聞かれたことから、学校で習っているくらいしか知らずで、依頼をだしてのことである。とはしておられたようですが、この辺りも様々な揶揄ともとれることがあるようです。
その新たな元号ですが、
《時に初春の令月にして気淑く和らぎ梅鏡前の粉を被き蘭は珮後の香を薫らす》
という一文からの《令》と《月》を取ったとのことが言われています。 下にその意味を記していきます。
令月
の意味ですが、陰暦の2番目の月のことです。
- 何ごとを行なうにも良い月であるとされているようです
- 陰暦の2番目の月のことですので、2月の下旬から4月の上旬のことである
- 令には、襟元を正して直としてのことなどがあります
- 祝詞のことでもあるそうです
- 良いことという意味である旨テレビで言われていました
《和》という字と合わさり、《和たらしむ》ともなり、意味を無理矢理作れば、要するに、《和やかにするぞ!》という意味になります。
万葉集であることと、その時代の出典であることと、日本に来ていたかたが遊びや勉強でやってもいたような、平安時代や室町時代に使われていた、《あらましごと》との関係などから、なるほど、と思いました。
初春については、日本に2018年の末までいたベトナムの子たちと、今は消えているものもあるようですが、こちらが残っていることから、さしたることはない同じくベトナムの子とのFacebookでの遊びのことと、このことからもテレビとの関連もあり、それ以前の2016年の末まで日本にいたベトナムの子たちの遊びや勉強、何年か前からと今の中国の子たちとの少しの遊びなど、今いるカンボジアの子たちと関係がありますね。 その時分のひとりは、日本語の勉強も兼ねての梅の唄を作っていました。
気が淑く
の意味ですが、ここを陰暦の2番目の月のことである。としているかたもいましたが、《淑気》という辺りに満ちている気のようなもの、そのようなムードのことです。
ですので、その後にある和と合わせて、《辺りのムードも良く、何ごとを始めるにも良い月である。》というような意味合いになるようです。
現代に置き換えてみても、学生さんや会社単位で観ても、新しい年のはじまりですね。 その前の文とかかわり、別の意味もあるのかもしれませんが、それはここでは記しません。
梅は鏡前の粉を被き
の意味ですが、梅の花を美しいとされてもいますが、文からは、それは正しくなく、梅を観ている人だか記している人だかが、梅のことをそのように思っている。ということです。 また、その後の文もそうですが、この文は擬人法で、ネットやテレビでは言われませんが、女性を表わしてもいます。
梅の花(女性のこと)も、鏡の前で、化粧を施してその綺麗さの披露をする。
というようになるわけで、具象であり抽象であるわけです。
蘭は珮後の香を薫らす
の意味ですが、珮はおびものという読みがあり、身に付けるもののことです。 これも擬人法で、女性を表わしてもいます。 ですので、《きちんとした身なりをしての香を薫らせる。》とも読めますし、《修練をした後に、何もせずとそれが周囲に醸す。》という意味合いもあります。 また、当ブログにある昆布じめとも関係があるわけで、その後のことから、テレビ業界のかたは、実はこの時分には知っていたのではなかろうか?とのことも考えたわけです。
それから、当ブログにもある花屋さんの日本人と、昨年のある時期にFacebookでも菊の花のことがあったこととの関係があります。 *その一部はブログにも記しています。
有り難う御座います。ですね。
さては投稿の本文はここまでで済みで良いんですが、日本人による揶揄が飛び込んでもくるわけです。 それは別からにして面白くはないですが、一応なりと、文章の体裁として纏めますと、下のようなことですね。
万葉集のこの唄ですが、早速にして中国に元があると言われてもいるようですも、元々、漢字は中国から伝わってもいるでしょうし、テレビでの報ですも、太宰府の梅の宴のことであるらしいとのことと、奈良時代のものであるとのことなども相まり、様々なことが言われてもいるようです。
この唄の作者についても、上と同様に諸説がありますが、大伴旅人という官人であるとすることが多く、日本のその時代には、外国との交易があったとされており、中国の唄に習ったとも考えられ、そのように記している読み物もあるようです。
ただ、元号については、万葉集の中からの引用であることに間違いはないようですし、これらの説は、当然にして学者先生は知っているはずです。
大伴旅人が元の文に習ったかどうかは別として、諸説ある他の日本人ではなく、大伴旅人が詠んだとされる説が有力である。 としているわけです。
そこに、中国のことを持ち出すかたがいるわけです。
揶揄をされる日本人は、どうも、万葉集が日本の国書である旨文句があるようですが、万葉集は日本の国書です。記しているかたはかなりの数に登ります。 勿論、誰かの文を書き写したりということもあったかもしれませんし、その後の作の意味から、全く違う意味でもあるわけですが、別からにして、それを使っていないとはしていないんです。 このことを聞かれた日本の学者先生にしても、中国のかたにしても、おそらくは、何も言ってはいないとは思いますが、この件で争いが起こっているとしたいかたもいるんでしょう。
昔のの書物を紐解いていく中で、こうである。としているわけで、それが違うとは言っていないんです。 そのいっぽうが、こうなんだ!としているわけです。
この部分は、おそらく居直っているわけではなく、このような唄を好きである気持ちと、緻密で論理的なものとは、また違うはずです。
気を付けることは、例えば、良い意味で、中国のものも入っているという、全く違う質問に対してのそのような答えを、記す時分に質問だけ変えるということもあるわけです。
テレビのニュースでは、下のリストのような流れでした。
新たな元号については、
- 室町時代などに記されたものや、国書からの引用としたい 当初はこのことから、面白い関連です。としていたわけです。
- 明治期以降の国書からの引用としたい
- 中国や他国の読み物からもそうとしたい
とのようなことが言われていたようで、菅官房長官が元号を決めるかたに正式に依頼を出したとしたのは、その後です。 TBSのニュース番組では、最初の幾つかがダメであった為に、その後にまた依頼を出したともありました。
少ししか観ることができていませんので、詳しくは分かりませんも他局でのことで、幾つかの元号の案を出したかたは、元号の案を出したことの否定をしているだかとあったような気が致します。
面白いことのひとつですが、これも上とは違う局ですが、安部首相は依頼を出したとしています。
揶揄のことがあった時分には、新しくなったという意味合いの、良い気分を壊したくはないですね。とはしていましたが、さてはこの投稿での面白いことですも、元であるとされる中国の唄と、万葉集の唄は、こちらとの関係性を紐解いた場合に意味合いが違うんです。 この投稿で面白いのは途中までです。
ma1d3n Facebook yositaka akase/*-----
【2019/0417 追記】
思い出しました。 このような関連もあるんですね。
元号の考案者さんの言として、 《作ったのは自分ではなく、自分は粘土細工の粘土を渡しただけで、このような組み合わせにしたのは、神様とか、天とか言われている人です。》 とのことでした。
日本でそう言われているのは…でしょう。 その実今は人間であり、平和の象徴となっていますけれどね。
ネットでは、 《作った人がいたとしても、それは、粘土細工の粘土を渡しただけだ。作るのは神様や天だ。》 との意味合いであるというようにあったんです。
要するに、芸術的な意味合いのことを言っているわけです。 ここでは、考案者さんについての言及はなかったとありますので、そのようなかたが別にいるということは変わらず、作った人がいたとしても、そのかたでさえ、粘土を渡したにすぎないとね。
それで、少し前にですも、 《きほんはまる》 という歌への関連というか、あることに対しての話をしていた時分に、そのようなものへアクセスをしてみることがあったんです。
こちらが知っているにしても、あちらも自身の正体は明かしませんので、誰であるのかは明かせないんですが、私は、その問いへの答えとして、私については、基本的なことはできている。というように捉えたんです。 また、その時分に話したことから、人の、基本的な心根は、まるである。というような意味合いもあるのかも?とはしていました。
ここまで思い出したらば、分かったんです。
星のカービー
アニメのうたです。
日本に来ていた子が、王子様の夢をみて、私だったそうです。 当時は、王子?玉子の間違いでは?としていたんですが…
だって私ですよ…???
凄い関連なんです。
宅の近くでも、早速にして、 《お前、天か?》 《同級生の人間じゃないか。》 などといっているグループがいましたし、そのようなことが、あちらこちらで話されているんです。
何日か前のことですが、昔に知ったかたに会った時分に、元号との関連のことであろうと思いますが、を笑っていました。 このような、ちょっとしたことまでの話のタネにもなりますので、有り難いですね。
《令》には、昔からの基本的なきまりごと。という意味合いもありますしね。-----*/
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