この投稿は、2019年は4月の17日にメッセンジャーに記した雑記をブログ用に直したものです。
ここでは、元号についてのその後として言われていることから、会釈というものについての意味を記しています。
この会釈というものですも、おじぎということがひとつと、別の意味ですが、幾つかの違うものごとを、矛盾なく合わせることです。
元号の考案者さんである中西さんへのインタビューを読み物に起こしたものが、TBSで放送をされていました。
このかたが考案をしているはずですが、他局のものでは、そうではないともしていました。 この二文字の組み合わせになることと、おそらくはそれが選ばれることは、要するに、神様とか、天と言われるものが、作るということを言っていたんですが、芸術家さんも、よく、このような言いかたをします。
日本ではない国のかたですも、現在のところ、この日本のものを、中国語に訳したり、ベトナム語や他幾つかの国の言語に訳したり、中国のものを日本語に訳したりということを行なっているかたもいます。
それで、中西さんへのインタビューを読み物に起こしたそれは、旧暦と陰暦が同じくになっており、おそらくは、読み物に起こしたかたが、ふたつの違いについてを分からなかった可能性が考えられるわけです。 読み物に起こしたかたは、中西さんというかたに、教えて下さいとすれば、それくらいは教えて頂けることと思います。
それで、気が付いたことのひとつですが、その前の日にも、やはりおかしな流れがあり、そのことを鑑みますと、出てくる解答は、 《読み物に起こしたかたは、他の国の旧暦と日本の旧暦を同じくに捉えており、陰暦というものをこの旧暦と思い込んで、他の国のかたに聞いたので、あちらのかたもそのように答えて、それが読み物になった》 というものです。
その読み物中にあった、 《令月は陰暦の1月ですが、1月ではない云々》 は、中国やベトナムの旧暦の1月のこととなり、これらの国では、今でも、旧正月というものを祝っています。 中西さんに聞いたのではなく、別ごとから、このような感じで、読み物に起こしたのではないか?と思ってしまうわけで、この意味であれば、大体にして合っています。
ただ、日本の旧暦もあり、これは、《天保》というもののことを言うことが多いように思います。 太陰太陽暦のことでもあります。
陰暦は、太陽を基にせず、月の運行を基にしたこよみとされていて、平安時代くらいからあるもので、そのように言われています。
その読み物には、《ら行》は美しいともありました。 このブログや別ブログにも、男言葉や女言葉があった時代の《ら行》の流麗さと、《ま行》の女々しさについてを記していますが、別局のニュース番組でも、ブランドに多い《R》という字の形の美しさについてが、言われていました。
考案者さんの、おそらくは喜ばしいことに、既に様々な話になっているんです。
唄の意味は、中国のものともまた違うとありましたが、その意味をするところが違うことは、当然なんです。 *当ブログにも、関係性を紐解いていくと、中国のものとも違うと記していますが、それとはまた違い、このかたは、日本のものと、中国のものの違いのことを言っているわけです。
おそらくは分かりやすいようにということからであるとは思いますが、《令》というものは、良いことであり、例え命令としても、悪い命令は聞きたくはないことから、やはり良い命令となる。とのことで、これはフジテレビでもコメンテーターさんが話していて、更に別のかたが聞くものですが、このことを答えられないんです。 理由は、知らないことからではなく、聞いたかたが、別の意味として捉えていたことからでしょう。それ以前の、国会での安部首相の言としてある、国家とは自分のことで云々があり、国民への生殺与奪があると思ってのことからの言てあるように感じることができるわけですが、このことと思っていることが考えられるわけです。 勿論、抵抗権というものもありますし、そのことではない。などと、良いこととしているわけであるように思う次第のことです。 ですので、中西さんは、読み物中で、安部首相の言にも触れられていたのであろう。くらいには思うわけです。 *別ごとから、自分ではないとしていたのは、この読み物のことではないんです。
また、良いことは善である。とあり、誰かのFacebookにもあったことから、中西さんというかたに聞いて起こした読み物ではなく、このことを当てがっているのではなかろうか?などと、余計にそうと思えもするわけです。
そうではなく、新たな元号は本当に良いプレゼントになりましたという投稿で記していることと、そのような組み合わせになった奇跡のようなことからの、有り難うです。 他のかたにより、無理に狙って頂いたのであれば、そのようなことはせずと、そのままの意味になっているようですし、他のかたは他のかたで、そのままの意味が、様々な話になっているかたもいるように思います。 *これは、おかしな流れがありますので、それにつきましては、別ブログのほうに記しておきます。
まぁ、実際のところ、中西さんの言を読み物に起こしたものは、読み物に記したかたが、中西さんの言を間違えたんでしょう。若しくは、他局の言も合わせて、矛盾がないように組み合わせて頂いたということでしょう。
丁度、自身もtexというツールを使っての組み版…書籍になる体裁のもののルビやページ番号や面つけ他の制御をするもの…をしていたことがあることを思い出しました。
これも会釈と言いますね。
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