この投稿は、何年か前からのものと、2019年は8月の最近に、メッセンジャーに記した雑記を、ブログ用に纏めたものです。
そういえばですが、Nguyen Kieu AnhのFacebookにある、地元から愛媛県は上島町の岩城までの途中の海にそっくりな写真ですが、もうひとつ別の側面があったことを思い出しました。
小説の話です。
空と海が一緒になると、世界が壊れるので、山が邪魔をします。という意味になるように記していたことがあり、その投稿を、日本に来ていたかたが、Facebookに投稿をしていたわけです。 平和なところだか、まだ平和だかと記していました。 あるところの近くの坂上から向こう側に望む海の邪魔をするように、山があるんです。 その写真の先に、Facebookで記したうちがあるんです。 それで、その真ん中にある海で遊んでいる投稿です。
よくそっくりなところを見付けることができますね。
*広島から松山の客船の航路のことも知ってか、私としては、このことに対しても、タイミング的に有り難いことです。
それで、他のかたにも山に登っている写真の投稿があり、昨年だか一昨年に、どこに行けば良い?などという投稿がありました。…無理をしてそのようなところを探しての投稿をしなくても良いんですが… 有り難いですね。 また、更に別のかたのものですが、何年も前の当時に、山の写真の投稿をして、一人だけお留守番というような冗談の投稿がありました。 ふたりとも病院にきてもいましたしね。
日本からは、幾つかの国を東南アジアともいうので、《とうなん》ということで、Facebookに私の父は盗人ではない。という投稿やコメントもあって、勿論、それは違うわけですけれどね。そのかたも、別に反論をしているとか、そういうことではなく、お話になっているという意味です。
それで、日本語とする上では、その小説には、
- 空と海という対比があります
- 宗教的なことではありませんが、弘法大師 空海を表わしてもいます
- 数秘術で言うところの、完全数の3があります。1か2のどちらかが男でどちらかが女を表わして、互いになることで、完全数になる。という足し算のことです
- 日本語の使いかたがあります
- 《本当はそうしたいけれど、理由があって、それはできない》という、物憂げな気持ちがあります
- 自然があります
他、沢山のことを記してもいた気が致します。
短いお話ですので、単に、日本の仏教のひとつの派と、空と海と山という自然のコントラストがあり、数がある。というだけですが、少し前の私はこっちのことに気が付かなかったわけで、気が付いてから、以前にこのように記しましたね。などと記したわけです。 有り難いですね。
投稿はそのかたのものですし、誰それの物という意味ではないですが、たったのこれだけで、莫大なお金が動くこともあるわけです。
それぞれには、それぞれの友達がいたり、知り合いがいたり、そのかたにも同様で、Facebookや他方での話題があり、コメントやライクになり...
アクセスをして何か現実に行動を起こすことも、アクセスをせずと流行りに乗ってであっても同じで、アクセス自体が消費であり、私一人であれば、意味がないわけです。 そんなことを考えると、楽しくないですけれどね。
何故ここでこのような投稿をしたかというと、TBSの音楽番組のことを記したかったわけで、それにもFacebookとそのAIとそこの関連性がかかわっていて、TBSの音楽番組のTwitterもかかわっていて…そことは関係がないことでものこちらやそれぞれの友達などで、それぞれがそれぞれに関連をする投稿をしていたということです。
まぁ、お金のことばかりを考えては、心のこもった読み物というか、観念的なものというか、記事系ではないものは記せないようです。
ともあれ、上のほうで記したお話のことを忘れていましたから、私の連想力もまだまだですね。
ma1d3n Facebook yositaka akase
コメント
コメントを投稿