この投稿は、2020年は7月の27日にメッセンジャーに記していた雑記を、ブログ用に纏めたものです。
ものごとと言いますは様々な側面があり、良いことばかりではなしに、悪い面と記しますと違いますが負の面もありますね。
- 隣の芝生は青くに観える
というものであり、良い面ばかりが観えるものですし、そのようなところを観て、羨むことも人間は行なうものですが、あるところが羨まれていると記しているわけではありません。
誰かが知り合いに言っていたことと、幾つかは言語の勉強を含む遊びのことで記していたことであり、他所様のところを悪く言うことはできませんことからのことですが、遡っていきますと、様々なこととどのような関係があるのか。という問いに対しましての応えのひとつにはなるでしょう。
記すに気を使うことですね。としてはいます。
下のほうのことですも、悪い意味合いとしてや人を落とす意味合いではなかったそうですが、他からの状況で、気分が凹んんでいたことから文句がでもしたことと、ちょっとした注意でもあったようです。
次ですも、愛知県で三人を車で跳ねて逃走を謀ったかたがいるとのことであり、 《神様になる為に殺したかった》 とのことですが、そのようなことで神様にはなれず、なれますは人殺しでしょう。
別記を致しますも、同県はハローワークでの下半身に何も身に付けずに亡くなっていたかたとの関連はないと思いますが、別の意味合いとしての関連が見え隠れを致します。
要するにですも、何年か前にですが、誰かが、地元と言いますか、あるかたにですも、 《死んだ後に神様になりたいの?》 などと、失礼なことを記してしまったことがあり、そのように記したかったわけではないそうですが、昔のことにしろ、とは記しますが、これには負の側面があるわけで、色々なこと含めてずっとのことであり、そのようなこととも無関係ではいられなくなるからです。 この辺りはおいおいとブログに記していける部分は記していけるでしょう。
さもしい心を見透かしたようにして、さもしいのはどちらだということであり、そのようなことも分かってのことであるようで、合理性を欠いていますね。
次ですも、愛知県で人を跳ねたかたにしろ、この、神様になるということが、如何いうことか分からないんです。
現代の一般論と致しましてですが、普通は皆お墓があり、宗教の違いもありますが、死ねば仏であるわけで、神様ではないんです。 カルト宗教という意味合いではありません。 そこにしろお墓はありますは当然ですし、ごく普通の人間です。
意味合いが違うんです。
このような意味合いと致しまして、ローマ法王が日本に来られた時分の言に、有り難い言もあった。ということです。
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