この投稿は、2020年は12月の23日にメッセンジャーに記していた雑記を、ブログ用に纏めたものです。
これな投稿はですも、今は時間がないですので、時間ができたときやら、自分が面倒なときに使えるように記してみます。
ブログに【タイムマシーン】やら他で記したことやらが、恐れ多いですも、同じくブログでも記していますの、あるかたの間違いのひとつであり、厳密には間違いではないんですが、多くのかたが一般のかたに相対性というものの説明をする時分に、説明者の理解度からや受け手の理解度から省かれる説明も多く、門戸を開き楽しくやり、知って頂いたり、雑学になったり、その道を進んで頂く為のものでもあるわけです。
冗談と致しましては、《アインシュタイン先生、何で嘘吐いたん。舌出してもダメよ。》ということです。
メッセンジャーに記していることは、たわいもない呟きや、考えや、実際に起こったことなどもあり、別の世界のことではなく、同一線上の世界のことであり、それらは時間軸というものに沿っているわけでして、私が行なっているわけではない旨しましたは、他のかたには到底理解の及ばないであろうと勝手に考えていましたの、冗談も多分に加味をしてのそのようなことの底無しの恐ろしさや重さのことからや、それとは違い、このような意味でもあります。
繰り返しになりますが、例えばですも、メッセンジャーに、
- ◯△□◇
の順番で記していますに、ブログやメッセンジャーに記すにまとめていますの時分やら記して後に、
- ◇□△◯
となり、ときに大きくなりますと自然もそうであり、これは自然であるからと言えど、そのようになっているということにつきましては、他のことと変わりませんし、つまりですも、突き詰めていきますの傍らに制御ということもうかがえ、時間とは不可逆である。とはあり、若しくは表現と致しまして、これも事象のひとつとして可逆も不可逆もない。ということも言っているかたも、それもある。としているかたもいます。
遡りますとそれが起こるということはですも、記していますのように、既に起こっていることが、もう一度、矛盾が起こらないように形を変えてであろうと起こっているわけであり、では時間と言うものは本当に一方向に進んでいるんでしょうか?という問題になるわけであり、少しですも記しますと、年老いて行くことは加齢であり、年月は年月であり、時計もこれをもっと小さく観たことを表わしていて、星の自転は回転であり、朝の光やら夜の星は向いている方向で観えるものが違う。ということと同じであり、クロノスというものは、時間の神格化、擬人化をしたものです。 私が時間を遡っているのでしょうか?全てが時間を遡っているのでしょうか?これも含めて一方向でしょうか?という言葉遊びですね。
少し前にもブログに記しましたが、
- 現在の理論では、実際には、実社会では、時間そのものの認識はできない。若しくはそれができないことから現在の理論になっている。
ということです。
さては最近のことですも、《因果の破れ》につきましてを少しなりとですが読んでみた次第ですも、それとは違うものですが、重力につきましての冗談の加味もされた説明と致しまして、物が落ちるということは、中心に向かって転がっていることであるということが言われてもいまして、これは表現と致しましては面白く、因果というものをあらわすときに、三角形と逆三角形の頂点同士を合わせて、その中心に縦に真っすぐの線を引いて、これを時間として、不可逆はないとしていて、その線上に、あることについての因果というものは、それがあるのであれば存在をし、三角形の端のほうに行くに連れてそれな関係性が薄くなることをあらわし、三角形の外側には、あることの因果というものは存在をしていないとしている図を観ましたが、例えばですも、三角形が、地球規模の大きさのものであったり...(これな場合には殆どの場合には因果ではなしに相関であり、誰かが地団駄を踏んだ為に遥かに離れた場所で地震が起きたということは、エネルギーの方向や伝わりの全てを出しますと分かりませんが、まずありません)家族間であったり...次は説明のしやすさからの例えと致しましてですも、家族間での因果が破れるということは、考えると分かり、そのようなことは存在をし得ないはずが、微小に観ていきますと、これの可能性はあり、但し理論的にはそうでありましても、単に、私たちがそこまで微小に観ることができない為に、今ある世界のようになっているわけです。
上は単に簡略化をしたものであり、もっと簡略化もできますが、またいつか記しておきます。
ブログでたわみや歪みと記していますは、時間と、時間と関係を致しますの重力につきましてのことからも記していますが、自然界やら、潮汐などやらもそうで、そのような、パワーという意味ではない、静かにある力にしろの、このような意味もあってのことであり、ねじ曲げると言うことやらずらすと言うことは、嘘を吐いてどうのと言うことではありませんことは記しましたので良いかな。と思います。
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