この投稿は、2021年は2月の5日にメッセンジャーに記していた雑記を、ブログ用に纏めたものです。
何処にでもあるような、当たり前の良い話です。
思い出したことですが、20年ほど前にでしたか、あなた逆からなのよ。としていたかたのことです。 自分では気が付いてはいないんですが、そのかたは気が付いていたのかもしれません。ですので、たまには歩調を合わせてみよう。という投稿です。
最近を例に取りますと、【マジックの観点からのブログの説明】にもありますのように、AIというカテゴリーやらnguyenkieuanhやらynimkの多くを観て分かりますことですも、【桃太郎のお話Ⅱ】が鳥インフルエンザの話と元農林水産相のかたと他、投稿と致しましては【ジョジョの奇妙な冒険と私の奇妙な冒険】やら【觔斗雲/筋斗雲に乗れる心の清らかな大阪の人々_皆で探したいドラゴンボール】などや、黒瀬 深というカテゴリーからの遡る傍らの【米山 隆一さんは両刀使いかということについてとある音楽のジャンルのことについて】やら【文化財保護法違反などで捕まったかたとブログとの一致】と【ナンバープレートのないバイクに何度か煽られたかたとブログとの関連】と【同性である高校生で性欲を満たしたかたとの関連】などから観ますに、いつの頃からか、やはりそちら側に進んでいるように観えます。他、まだ記せてはいませんが総務省への接待疑惑と東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長による女性蔑視に繋がる可能性のあることと、関連と、明治期のこちらごとの、自戒の念を込めてのものですね。
遡ると同じようなことが起こるということは、いつの頃からか、そちらに進んでいるということでは?と思えてくるようにもなっていたり。それな過程で問題も出ていますけれどね。 自身の心身の疲れだけではなしに、たまに休まなければね。
さては本文ですも、やはり最近の自分は何も観えていないことが分かりました。 これな投稿の読み物はですも、どちらかと言いますと神職のかたや仏職のかたに分かりやすいかもしれませんが、また少し、だいじなことが観えたかもしれません。
メッセンジャーに雑記を書き込みましたの少し後で、SDGSでありますかの環境汚染についてのことがテレビ局でありますのTSSで放送をされていましたが、これな投稿の読み物はですも、皆朽ちていくという、無情についての話です。 *環境汚染を何とかするということに想いを馳せることも重要ですけれどね。
女子高校生に声を掛けられたり、また、晩に放送をされていましたの名探偵コナンというアニメでの台詞で、丁度良くにですも、《木の下、木の根っこ、猫。》という言葉の連想がありました。
これなブログの読み物を言い変えますと、
- 波
- 時間
- 事象
- 因果
- 縁
というものであり、
- 循環
です。
少し疲れましたので、誰もいないところにいようとしたんですが、それまでは誰もいませんでしたに、何処からともなくの直ぐに15人ほどが集まってきた次第のことです。 誰もいないところに行くのに、坂を登ろうとしたんです。 坂の上り小口を少し行くまでは、たまのこのようなことも気持ちの良いものであると思っていたんですが、脇に人一人通れるかどうかという小径がありましたので、坂を登るを断念したわけではないですも、小径のほうに入ったんです。
小径の端の所々にはですも、背丈が1センチもないような短い草が生えていたわけですが、草が生えるということはその下には水分があり、草が青いということは光合成が起きているんです。 また、草は踏まれて伸びていないのではなしに、踏まれるので伸びていなくて、このようなところにも、ところにより違うように進んできた植物というものを観ることができます。
小径を何メートルかと進みますと、手の指の太さほどの、3センチほど伸びたところでカットをされた木が、何本か同じ場所から生えていて、観てみますと、枯れてカッサカッサであるわけです。 既に水分を吸い取る能力が働いていないのか、下にはその木が必要とするほどの水分量がないのか。ということであり、木を観ると分かりますは時の流れでありますのか老化でありますのか、その木は朽ちるまでそこにあるんでしょう。
無情。
ただ、見付けたことで無情ではなくなり、他に人が集まったり通り過ぎたりとしたことで少しの意味ができ、ということですね。
思い出しましたは、グエンという姓とそうではないかたとで、あなた無縁ね。と言って遊んでいたかたがいたことです。実際のところそうではありませんし、意味を知って言っているんです。 他の姓のかたと分けているわけではなく、そうやって遊んでいたんです。
帰りの道すがらに自転車で後ろから追い抜いた会社帰りの女性が、封筒を落としたんですが、そういう気持ちですので、拾ってあげて、優しく声を掛けるわけであり、その女性も引き返して、《すいません。有り難うございます。助かります。》と声を返して...少しですが息が弾んでいましたので、拾ってあげて良かったということでしょう。
その女性は、少し行ったところにあった郵便ポストに何かを入れて引き返してくるんですが、その時もにこりとするわけです。 その後に、別のところですが、小径に入って行くわけです。
枯れた木が人を集めて、帰りのすがらにそのようなことがある。 私がそのようにしたのであれば、そのことからの、ちょっとしたお返しがあったのかもしれませんが、おそらくは上でしょう。 因果。 縁ですね。
これが循環。
循環はさらに廻り、帰りは時間帯もあって、車もそこそこですし、他多くに枝分かれをしていきます。日本にですも、《街の明かりが、とても綺麗ね》と言う歌がありましたね。
枯れ木のほうか私のほうか、それとも他のかたか、誰が有り難うかは分かりませんが、このようなことが起こっている。ということですね。
あまり記しますとしんどくなりますので、良いお話はそれで良いや。
人の命を吸って力に変えているのではなかろうかと思えるような人やら、命の火を燃やして絶大な何かを成すほどの人やらも確かにいるでしょうけれど、枯れた木が人を集めましたのか、私が人の想いを集めましたのか、はたまたそこに行ったからかは分かりませんが、静かにことが動いていく。小さなことから...
なるほど。
カッチ、カッチ、カッチ、カッチ...(時計の音のつもりです)
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