この投稿は、2021年は5月の13日にメッセンジャーに記していた雑記を、ブログ用に纏めたものです。
原文では、通過をばして行きのところの、《をば》が抜けていますね。
同女で良い。
- 再びの性別の描写
で、文章中に時折にこのような描写があるおかげで、性別を覚えておけるだけではなく、登場人物の特徴を覚えておくことができるということで、これも引っ掛かりですね。
また、直ぐの左脇を電車が通っているということで、
- 左側の歩道
ということだけではなく、
- 歩道の左側の通行をしている
ことを表わしているわけであり、気が付く読み手もいればそうではない読み手もいると思いますが、どちらにせよ、違和感を覚えることになり、その違和感の正体が、後々に明らかになっていく。という手法です。 また、普通であれば日本では徒歩は右側通行であるわけであり、右側の右を歩きますと、道路を走る車とも距離が取れ、車が左側通行ですので、前から来た車が自然と観えるようにもなっているわけですが、
- 右側には何が、この場合には道路があり、車が通っていることの想像ができ
- 心理状態として、他の人とかかわりたくはないこと
を表わしています。
では何故他の人とかかわりたくないのか?ということに続くわけですも、左側には時々ですが電車が通っているわけであり、《時折》ということですので、一度ではなく、それであるに左側、つまり電車に近いほうを歩いているわけであり、そのレベルで、人とかかわりたくないということを表わしているわけです。
これが【〜のであるが】で記した事件性の描写と合わさるわけであり、この事件性にはふたつの側面があり、次の文で起こったことと、本当に哀しいことのふたつであり、どちらもサスペンスで、そのうちのひとつは直ぐに答えが出るというすんぽうです。
この文には、違和感があるわけで、登場人物の行動心理とか犯罪心理とかいうようなことに繋がることが隠されていますね。
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