【〜のであるが】
この投稿は、2021年は5月の13日にメッセンジャーに記していた雑記を、ブログ用に纏めたものです。
【◯が尾道の駅前よりこちら松永方面へと国道の二号線をば只管にして歩いておる】からの続きの文であり、
- 歩いている傍らで何かが起こった
ということであり、悪い意味合いというわけではないですが、読み手が文章を読むのを一端止める若しくは別に意識を持って行く効果を出すことと、続く文の記しかたで事件性の描写をしているわけです。 要するにですもフックと言いますか、引っ掛かりです。 錠の特に最初のほうではそのような記しかたはあまりしていませんが、
- この文だけで読み手が文章を読むのを止める若しくは別に意識を持って行く効果を出すこと
- 事件性の描写
ができるということです。 何が起こったのかは、この文の時点ではまだ分からず、ここにも謎があるわけです。
また、
- 《〜のである》という文は、通常は強い断定を表わす
ということであり、前の文章の、《◯が尾道の駅前よりこちら松永方面へと国道の二号線をば只管にして歩いておる》が強く断定をされて、これも作中全体を示すフック、つまり引っ掛かりであり、楔であり、場所が明確になり、《が》が付いていますので、そうとしているところに何かが、という意味があります。
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