この投稿は、2022年は1月の2日にメッセンジャーに記していた雑記を、ブログ用に纏めたものです。
丁度地元のことでカモメが10羽ほどと、飛んでいましがいましたり、水に浮かんでいましがいましたり、ポージングをしていましがいましたり。などとメッセンジャーへ雑記を記していましたのその後に下です。
上のリストのような逆順でも面白く。
中村 汀女という唄詠みさんの句をTwitterに記されましたの国民民主党のかたのツイートが、あるワードでのgoogle検索エンジンでの検索結果で一位ですが、何故?と言いましは冗談ですも、
汀 = みぎわ/波打ち際 汀女 = ていじょ/波打ち際の女
と言いまし意味になりまし名前です。
同人さんの旦那さんでしたかお父さんでしたかが大蔵省と関係がありましたり、丁度かもめのジョナサンにつきましてのことを記していましたし、地元のどこでしたか、狭い石段を降りますと波打ち際にお地蔵さんでしたかががありなことを思い出しました。
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摘まれし若菜もしや人を好き過ぎてのことかで揺れるる汀。
意味 = 摘まれた若菜は、もしや警戒心がなかったからでのことか、それが揺れているみぎわ。
若しくは、
摘まれし若菜もしや人を好き過ぎてのことでありでか揺れるる汀を大きな蔵より観ゆるるの父。
意味 = 摘まれた若菜は、もしや警戒心がなかったからでのことか、それが揺れているみぎわを、大きな蔵から観る父。
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揺れ過ぎて好人もしや若菜摘む
と言いまし唄の元の意味はそれと致しましてあるわけですが、これを解釈と致しまして、
- 《動揺をしているがひょっとすると誰かが若い女の子を摘んだか》
- 《地震が起こるということは女たらしが若い女の子を摘んだか》
- 《可愛い可愛いとしすぎると、若い芽を摘む、将来を摘む。》と捉えて
菜ということから《女人》としていますが、これを《若い人の将来》として、そのように詠んでも同じであり、などと致しましては、返しが上の意味になりますのようになっています。と言いましことです。
それに致しましても、中村 汀女というかたは亡くなられていますので、それが返ってきましことはないですけれど、既に歴史上の人物となっていましのかたの唄への返しもできまし時代です。
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