この投稿は、2023年は02月の09日メッセンジャーに記していた雑記を、ブログ用に纏めたものです。
日本では、SNSはフォロワーが多いか否かであり、指標のひとつと致しまして便利ですので何年か前もそのような放送でしたが、数の多さの嘘本当もあり、次第に、例えば個々人の投稿ひとつの価値やらが言われるようにもなり、フォロワーとライクやコメントの割り合いやらなどともあり、ブログに記していましたの丁度でしたので面白く、イギリスのかたもそれ以外の国のかたも、何年か前にベトナムのかたも、《コメントやライクが沢山付くのは良いけれど、そうでなくとも、あまり付かなくとも。》などとあり、以前はライクが多くは、作を記していましたので汚してはいけないと思いやらやでコメントが付き難く、普通に他者のところにお邪魔をしていましなものはコメントも付くんですが、ここ何年かの私もそうですし、単なる点数の部分と、知るかたそうでないかたとの会話などは面白い部分やら。
- コメントやライクが沢山つくのはそれはそれで良いけれど、そうでなくともそのような人もいる。
と言いましは、こちらを庇われましてでもでしたし、有り難うです。
例えばですと、Workflowy物語(仮)は、実際にはTwitterネームも記していますが、このかたたちの中にも、殆んどとライクやらコメントがないかたもいますけれども、フォロワーやらコメントやライクの多さで、世論やら時に事実までが決まりましことはありませども、そうではありませんと言いましことの証左でもあり。 同物語につきましても、偶然やら必然やら、人為的にも自然的にも、観念的なことも放送をされていましたりであり、コメディアンさんやら他が冗談で言われていましなこともありますしね。
ですので、フォロワーの多さやらでは決まらずと言いまし意味です。
グループやら他と言いまし意味ではなく、そのようなかたも、単に観た目が小さいと言いましだけであり、まあそのかたたちと言いましょうか、大小で決まりますは面白くなくですし、これも件のかたの言も一理ありましとのことの証明です。
これな読み物で記していましな、放送をされていますとの文言は、特殊詐欺のかたもよく使われまし意味でのやらの関係性を出されましたりやグループの中での幾人かを有名に仕立てましてのそれではや、そうでなくともの、自身の凄さやらではなく、謙譲語です。 *最近の日本のTwitterでは、先のようにも取られますこともおうおうにしてありますけれどね。
まぁ、ですので、テレビはダメともなりもしな部分もありでしょうけれどね。
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